一字違いで全くの別人……古代日本の“ある天皇”の出自にまつわるミステリー
謎の人物 神功皇后の正体⑥
継体王朝の始祖は応神ではなく
「ホムツワケ王」だった
『古事記』中巻に収まる応神までの15代は、実在性に問題のある天皇群である。「神」の字を漢風諡号に使用した神武・崇神は、いずれも「ハツクニシラス天皇」と呼ばれ、系譜を形成する上での始祖王・初代天皇に位置づけされた架空の王者である。応神もそのような性格をもつ天皇であり、本連載で前述の通り、河内王朝の始祖王だとみる学説が根強い。
6世紀初頭に畿外から擁立された継体天皇の先祖について、記・紀は応神天皇だと公言している。応神の子、仁徳天皇の後裔血脈が6世紀初め頃に途絶えたので、継体の始祖を聖帝応神天皇に結びつける系譜が新たに作られ、欽明朝の「帝紀・旧辞」に記載されたようである。
ところが、記・紀と同じ頃の成立とされる『上宮記』一云の伝承記事では、継体の先祖として「凡牟都和希王」の名を伝えている。多くの研究者はこの人物を「ホムタワケ王」すなわち応神天皇と同一人物とみなしている。しかし、「都」はツと読むべきであり、「ホムツワケ王」となる。
ホムツワケ王は記・紀で第11代垂仁天皇の皇子として描かれており、母后はサホヒメとされている。ホムタワケ王(応神)とは別の人格であり、こちらが実在の始祖王であったのではないか。
垂仁天皇の皇后サホヒメとその兄サホヒコ王にまつわる伝承は、兄妹が天下の乗っ取りを図り天皇の暗殺を企てるも失敗するという話である。この話は、ヒメ・ヒコ制から男王制への転換を暗示していると考えられる。
◎第7回は、10月1日(日)に更新予定です。
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